北アルプス

白馬岳〜後立山をなめるべからず〜②

「早月ピストンしたことある?」

「あー行こうと思ってたんですけど、延期になって。」

「俺は2回行ってるんだけど、去年行ったら惨めなもんだったよ。トレランの集団に抜かれまくってさ。最近じゃどこもそんな感じで、すっかり時代遅れな山登りだよ。」

「まーいいじゃないですか。」

過去の登山歴をひけらかしたところで、大事なのは今この瞬間だ。明らかに久しぶりの登山だからか体がついてこない。その点、梅雨時期に鹿島槍を日帰りしている彼の足取りはしっかりしている。

おまけに彼はこの日、白馬三山を回る予定らしい。白馬ピストンでとっとと下ろうと思っていた私はなんだかバツが悪い気がしてくる。

山の計画は安易に変えるものではないし、そもそもペースも人と比べる必要なんてどこにもない。それなのにすぐに私はそう言うことをしてしまう。と同時に、ノッリノリな彼と話していると彼の山行に付き合いたくもなる。

結局大雪渓を登っている間中、彼とおしゃべりをしていた。まるで雪渓の上に浮かぶ小島のような取り付きに上陸する。私の頭には山頂直下の小雪渓しかない。

暫く歩くと彼が軽アイゼン(チェーンスパイク?)を外したがった。その度に私は

「この先に小雪渓があるらしいよ。」

と言うと、彼もそれならこのまま行きましょうと答えた。

しかし待てど暮らせど小雪渓は見えてこない。彼はこれが壊れたら困るから外したいと言ったが、私はあまり取り合わなかった。

そんなんだからか、ペースが一向に上がらなくなる。何度も足がもつれ、慣れないポールにばかり力が入る。意を決した彼が、

「とりあえず僕はここで外しますわ。」

と言った頃には、すっかり私のメンタルはぐちゃぐちゃになる寸前であった。

「脳に酸素がいってないなぁ、2700mくらいまできたかな?」

「そうですね、今2500mぐらいですね。大丈夫ですか?」

「久しぶりだからね、体が高地に慣れてない。足の筋肉も衰えてるから、攣りそう」

「梅干し食べます?塩分とったほうがいいですよ。」

「ああそうだね、どうしようかな」

おにぎりを食べようか迷う。

「封を開けてないからどうぞ。」

どこまでいい子なのだろう。しかしこの時点で彼のペースで山行を続けることが無理だと悟る。するとそれが自然と伝わったかのように

「それでは僕は先がありますので、お先に行きますね。」

「ああ、ありがとう。俺はここでおにぎり食べて休んでから行くよ。」

「写真取らせてもらっていいですか?なんとかして送りますよ。」

とここで彼とインスタのやりとりをする。スマホの機内モードを解除するとバッテリーが一気に10%にまで減った。もともと車の充電コードがしっかり刺さっていなかったせいで、40%しかなかったのだが。

「あーヤバイ、一気に電池がなくなった。」

「大丈夫ですか?」

「ああ、充電器あるからね。」

せっかく服を沢山持ってきているので、ソフトの上にハードシェルまで着た。バッテリーが急激に減るのはそれだけ寒いってことだ。彼はそれでもTシャツに短パンだ。上から下ってくる人たちが彼に寒くないの?と声をかける。

インスタのアカウントをやりとりし、彼を見送る。それにしても山屋のインスタ率は高い。

1人になり、自分で作った大きなおにぎりを食べる。昆布の方から食べる。持ってきた韓国海苔を適当にまく。気圧が下がったから袋はパンパンだった。

握った後冷蔵庫に入れておいたのと、半分凍った水の近くに入れてきたからかシャリがポロポロになってしまって美味しくなかった。その間に早朝日帰り班の登山家たちに抜かれていく。すっかりビリになってしまった。

それでもおにぎりを食べたら多少復活した。まるで映画の千と千尋のようだ。高山病も甘く見ると精神がぐちょぐちょになる。だので慌てず呼吸を整える。どんな時も呼吸は大事だ。意識が鳩尾へと完全に落ちているが、こんな時はできるだけ眉間に持ってくるように努める。

歩き出すとありがたいことに足の痙攣は治ったが、口の中が少し鉄の味がする。貧血だ。それと少しの吐き気を除けば、頭がボーッとして気持ちがいい。脳からエンドルフィンが多量に分泌されているのだろう。

そう言えば以前にも南アルプスの鳳凰三山へ半年ぶりに登山へ行ったら、途中で体が動かなくなってしまったことがあった。その時もその日の小屋で、「月1で山登りしないと体が慣れなくなってしまうよ」と言われたことを思い出す。要はそう言うものなのだ。

いくら復活したからといってペースはとてもゆっくりだ。手前の小屋を通過し、稜線に出る。向かって右手に大きな小屋と言うか、建築物の先に山頂が見える。世間はコロナコロナ騒いでいるが、泊まりのお客さんもそれなりに多い。とはいえまだ8時を過ぎた頃なので山頂の人もパラパラだ。

山頂には一緒に登ってきた丸メガネの彼もいた。しきりにスマホで動画を撮っている。

「着いたよー!」

と山頂で彼に声をかける。

「いやー、神がかった景色ですね!この前の鹿島槍では何も見えなかったので」

「そうだね、槍穂まで見えるね。」

ふと周りを見渡すと名だたる白馬岳と言うにもかかわらず、山頂の看板が見当たらない。思わず彼に、

「山頂はどこになるんだろう?」

といって方位盤がある近くの杭のところへ行ってみる。すると鉛筆書きされた小さな看板を見つけた。

「嘘でしょ!鉛筆書きなんだけど〜!」

といって私が笑っていると彼も

「え〜それ面白いですね!」

といって2人で盛り上がる。もう1人山頂にいた男性は迷惑そうにそれを聞いている。とりあえず写真におさめておいた。

とりあえずザックをほっぽらかして彼と記念撮影会を始める。こっちがいいですよ〜と北アルプスの山々がバックに映る岩場へと移動する。

私のカメラを彼に渡して撮影してもらう。いつも通りなんのポーズも取らない。そんな私に彼は少し困惑気味だったかもしれない。

立ったり座ったりして、何枚も撮ってもらった。次は私が彼を撮影する。私と違ってノッリノリで面白いポーズをする。彼は実に楽しそうだ。私と違って先の道のりが長いのにあまり時間を気にかけていない。

写真撮影をしているといつの間にか、おそらく小屋泊まりであろう方々が沢山登ってきていた。ザックのところへ戻る。彼も短パンが寒いといって薄手のナイロンパンツ(?)を履く。

「どうしようかなぁ、とりあえず俺はブラブラ下りて旭岳へ行くか杓子岳へ行くかするよ。」

「そうですよ、どうせなら行きましょうよ」

「そうだね。」

と言って私はまた1人歩き出した。

あっという間にまた稜線の分岐まで来る。彼はまだ山頂小屋あたりで何かを撮影している。旭岳方面は雲がなく明るい。杓子の方はまだ雲があって少し暗い。いつも通り半か丁かで決める。時刻が半なら旭岳、丁なら杓子岳。半だった。まあ、体の調子も万全ではないから当然だ。

時刻も丁度9時過ぎ、行って来いで2時間。11時に下山して、15,6時に下りれればいい感じだ。

分岐から旭岳方面へ向かうと日が射している。見た目は蟹の顔みたいな岩の山だ。左手にトラバースする道が見えている。人っ子ひとりいないので妙に静かだ。

分岐から少し下り鞍部から劔立山が見える。こうしてみるとやっぱりツインピークスだ。それが氷見から見ると薬師から立山劔、毛勝三山そして今いる後立山まで連なって立山連峰が構成される。それだけでなんかかっこいい。

歩き続けトラバース道に入る。すると前から1人の男性が歩いてくる。

「このまま祖母谷まで下るの?」

「いえー、戻りますw」

それなりに年配の方で空身に近い。確かに私も分岐にザックをほっぽって行こうかとも思ったが人の往来も激しいし、サブザックもない。そんな私を見て当然といえば当然な推測だった。

「人いましたか?」

「いや、誰もいないよ」

青空に左手には劔立山。見た目からしても大した登りでもなさそうなこの山を独り占めできると思うと、なんだか嬉しかった。軽めの高山病にかかりながらも白馬岳を登り終えた私は、少し気が大きくなって調子に乗っていたのだろう。

「山頂に何かいい景色はありました?」

男性は少し戸惑ったように

「あぁ、良かったよ。向こうが見えてね。」

と返事をした。なんとなく、自分でも生意気な口の利き方だったことを後になって後悔した。

続く