クリシュナムルティ

条件づけ②

補足ですが私と言う存在は、当然外部に依存しています。環境もそうだし、関係もそうです。要は食べ物が必要だし、食べ物を買うにはお金が必要で、お金を稼ぐには仕事が必要です。

ですがここに心理的獲得が生じてしまうと、また条件づけが始まってしまいます。でも決して感受性を殺せと言っている訳ではありません。

だからファーストシングスファーストに自由と言うことです。クリシュナムルティが「〜からの自由ではない」と強調する所以です。

心理的に何かに依存していれば常に条件づけられている状態で、その結果いつまでも奴隷的な存在に成り果ててしまいます。

なのでまずその条件づけを見る(認知する)ことで、その罠に引っかからないよう自己防衛するしかないのです。

そもそも”条件づけ”とは心理学用語で、”報酬や罰に適応して自発的に行動するよう学習する”といった意味があります。

だから改めてここでクリシュナムルティが言うように”真剣に”、一体何のために私たちは条件づけられているのかを考えてみる必要があります。

端的に言えば、それは生きるためです。

しかしそれとは別に、私たちには心理的欲求が存在しますよね。全てを自分の思い通りにコントロールしたいと言う。

そんなことないって思う人は、それに気がついていないだけです。きっと笑

なのでもう一度ここで、そのプロセスを辿ってみましょう。

どこから来るのかはわかりませんが、たいていそれは記憶にアクセスします。その次に思考が起こり、感受へと落ちていきます。さらに肉体へと伝わり、最後にもう一度思考へ戻ります。そして思考は満足することがないので、それをもっと欲しがります。

これが条件づけの主なプロセスです。だからクリシュナムルティはそれが思考へ入ったところで、すぐさま気づきなさいと私たちに注意します。

一日自分の思考を観察していれば自分がどれだけ条件づけられているのか、そしてそれによって精神が不具にされているのがよくわかります。

それから逃げようとお酒を飲もうが、パチンコを打とうが、お姉ちゃんと遊ぼうが、それはそこにあり続けます。

思考が止まっているときにだけ自由があります。クリシュナムルティが言うように、そのときにだけ私たちは川の流れに乗って進むことができるのでしょう。逆に考え事をしている時は、川岸から川の流れを観ているだけにすぎないと言うように。