北アルプス

白馬岳〜後立山をなめるべからず〜③

トラバース道もだいぶ進むと今まで見えてなかった富山側へと向かう稜線が見えてくる。段々と低くなる美しい緑がただ広がっているだけだ。

道も悪くなる。山の斜面が崩れ落ち、道が崩落している箇所がいくつかある。とはいえ穂高の稜線のように落ちたら、はいさようならと言うほどではない。でも以前慣れ親しんだ南アルプスに比べれば急斜面だ。打ち所が悪ければ大怪我では済まないかもしれない。

また慣れないポールも時々危険を招く。バランスを崩して斜面側へ体が振られる。天候は最高だが、自分自身のコンディションはイマイチだ。そんな中徐々に雲行きが怪しくなる。(天気のことではない)

岩に丸マークがついている。これは登山道を表していて、延々と祖母谷方面へと続いている。要するに上へ向かう道、旭岳へ至る道が一向に見えてこない。そういえばさっき、岩に旭岳と書かれた箇所を通過した。

急に不安が押し寄せてくる。そういえば地図を見ていても、また今ここまで来る途中にも「旭岳への登山道はありません」と書かれていたことを私は気にも留めていなかったのだ。

GPSで現在地を確認する。どうもこの辺りから上へと登っていくトレースがかなり太くついている。山頂は見えている高さで言えば、正直大したことはない。感じとしては笠ヶ岳へ行った時に寄った抜戸岳くらいのイメージだ。

その時も織戸さんと一緒だったが、彼と登っている時はピークハントに貪欲だ。踏めるピークはほとんどと言っていいほど素通りしなかった。そんな過程でたまにヒヤッとすることも何度かあった。でも2人だから足を伸ばせると言った感も否めない。

とかなんとか言ったところで、今は1人だ。おまけに半年ぶりのアルプスで体もなんだかヘロヘロ。でもここまで来て簡単に引き返してはなんだか男が廃る気がする。

とにかく道らしい道はない。注意深く踏み跡を見る。石が茶色く変色していたり、ハイマツが踏まれていたりと言った程度だ。当然これまでの道もよくなかったのだから、道はもっとややこしくなる。まっすぐ上に突き上げることもできなくはないが、それだとリスクなので斜めに徐々に上がっていく。

ちょっと上がったところでGPSを確認する。道はさほど逸れてはいないが、進んでもいない。面倒なので戻ろうか迷う。いつもヤマレコで大雑把に確認し、こう言うことになる。昔からそうだ。

でもこれが私の生き方でもある。必ずしも多くの人たちが歩む道とは違う道を進んでいる。それがいいとか悪いとかの問題ではない。いつもやることに意味があると思って、なんの意味もないようなことに挑戦してきた。だからこんな小さなこと一つにおいても、簡単には引っ込みがつかない自分がいる。

呼吸が荒くなる。同時に便意を催す。昔初めて北岳へ言った時、乗合タクシーで一緒になった小慣れたグループの人たちが、「山で緊張するとう○こしたくなるんだよなー」と話していたことを思い出す。そんな時はそこで野○ソをすると調子がよくなるらしい。

さっきすれ違ったおじさんは誰もいないと言っていた。もちろんあたりにも人はいない。でも小屋はさほど遠いところにある訳ではないので我慢する。何より今まで歩んできた割と危険なコースに比べれば全然大したことはない。

そんなこんなであっという間に上部へと出る。GPSで確認すると今きたトラバース道ではなく、正面の蟹の顔のような斜面の方に登山ルートがついている。そっちに本当は正規のルートがあるのかと期待する自分がいる。

しかしそんなことはなさそうだ。自分が登ってきた斜面以外はどちらも崖のよう切れ落ちている。

だが唯一の救いは、山頂に人が1人いたことだった。カメラのセルフタイマーを使って、記念写真を撮っている男性がいる。なんだかそれだけで助かった気がした。

自分が登ってきた方と反対側は崖になっているので上部を歩くと少し緊張感がある。とは言え道幅は広い。

「いやーここは最高ですね。ちょっと白馬から離れただけでこんなに静かで。劔立山の見方も何か違いますよね。」

先客の方が気さくに声をかけてくれた。気のいい方でなお良かった。

「そうですね。静かでいいですね。それにしても何か間違った登り方をしてしまったのかここまで難儀しました。どこから登って来られました?」

すると明確に手際良く説明してくれたが、どうやら今私が登ってきたところと変わらないらしい。白馬からの分岐から向かって正面のルートについて聞いてみると

「あーあっちはザレザレで登るのは難しいでしょ。」

と返事が返ってきた。

私が今朝猿倉から登ってきて、またこの後下ると言うと驚いてくれた。この方はテン泊で昨日登ってきたらしい。お天気の話をすると今日中に下ろうか考えていた。

私もカメラのレンズを望遠にし、紺碧の劔立山を撮影する。後立山からみる剱岳はなんとも言えず尖って見える。

その後、お互いに記念撮影をする。彼はテン泊なので一眼は持ってきたくても、重たくて持って来れないと言っていた。

しばし日が差す山頂で柔らかい夏風を感じていた。私が下りの心配ばかりしていたので、それを察してくれたのか一緒に行動してくれる。私が先に歩き、道をアドバイスしてくれる。そのうち痺れを切らしたように彼が先に歩いていく。全く迷いがなく、ポールの使い方も上手だ。道なき道をスタスタと下りて行ってしまった。私も慌てず跡を追う。ビビっている暇もなかった。

下りきったところでまたひと休憩した。

「本当にいい眺めですね〜。」

その方は茨城から来ているらしい。とは言え最近は関東の山にはほとんどいかず、北アルプスにばかり来ているとのことだった。一度北アルプスに来てしまったら、他の山には登れないと言ったようだった。

「私はもう少しここでゆっくりして行きますので、どうぞお先に」

そう言われて私は初めて動き出した。しっかりとお礼を伝えて。

その後、数人の登山者とすれ違ったが挨拶は交わさなかった。

分岐へ戻るとさっきよりも通りは賑わっていた。日が差してすっかり暑くなった。私もそう言えば旭岳を登り始める前に2つのシェルは脱いでザックにしまっていた。

差し当たり稜線直下の小屋で休憩することにした。丁度よくベンチはガラ空きだ。ザックを日陰側に置いて、まずはトイレを借りる。小屋を通って中のトイレと言うことだ。小屋も伽藍としていて、トイレも誰もいなかった。

大の方へ入る。するとまるで宿便が出たかのようだった。そう言えば以前にも久方ぶりにヤビツ峠から大山に登った後、同じようなことがあった。長らく運動不足だったからか、腸が刺激されたのだろう。

戻る途中、小屋の冷蔵庫に超美味しそうなプリンを発見した。しかし食べ物も飲み物も消化し切れないくらい持って来ている。本来ならお金を落として行きたいところだが。

ベンチへ戻ると私と同じように高山病で気分の悪くなったカップルがいた。具合が悪いのは女性の方で、男性は割と元気そうだ。

構わず私はランチタイムにすることに。残った梅干しおにぎりにさっきの韓国のりをまく。バーナーでお味噌汁用にお湯を沸かす。自家製の梅干しの出来は最高だ。お湯が沸いたところでフリーズドライのお味噌汁を入れる。塩分が疲れた体に染み渡る。

大きなおにぎりの後にコロッケもやっつけることに。味噌汁の次はコーヒーを入れる。山で飲むコーヒーは相変わらず美味しい。

その間にも2、3の登山グループがやってくる。小屋で食事を取りたかったらしいが、今はコロナで無理らしい。横にいたカップルは今日はお泊まりらしく、白馬へ登る前にチェックインしたいらしい。最後に団体ツアーではないガイドさんに連れられたご高齢の登山者が登ってきた。全員で5、6人いたが、ここの小屋のプリンを食べると言って盛り上がっていた。

そんなこんなで私も店じまいをした。なんだかんだで45分くらい休憩していた。13時前に出発する。16時くらいにPへ着けば、家に21時前には帰られる算段だ。

下りの大雪渓では普通のアイゼンを使用した。おかげでなんの恐怖感もなかった。