学生時代は音楽にのめり込み仲間たちとイベントを企画し、毎夜横浜を飛び回っていました。

そんな不摂生が10代後半から20代のうちは続き、気が付いた時には心も体もボロボロな状態でした。

おそらく本能的な何かが求めていたのでしょう、次第にそうした街の喧騒とは対にである自然の中に魅力を感じるようになり時々丹沢の大山などへ行くようになりました。

 

30代を迎え、ますます山へ行く回数が増えると長年悩まされていた腰痛がいつの間にか消えていることに気がつきました。

思考も以前はネガティブに物事を捉えることが多かったのですが、いい意味で”自然”に考えることができるようになり、

今振り返ると何の気なしに始めた山登りに身の心も救われた気がします。

しかし仕事ではサービス業とはいえ、体を酷使する職場だったこともあり、周囲の人々は常に満身創痍と言った環境でした。

年齢的にも、この先もこうした環境に身を置くかどうかを迫られていた時、年末の配送の仕事先で怪我人が続出しました。

当時コンビを組んでいた方も両脚肉離れになりながらも、人手が足りないので毎日出勤していました。すると、「鍼灸マッサージにいつも診てもらっているんだけど、怒られたよー、こんな状態で仕事してるなんてってさぁ。」と私に話していました。

その時に心の中で「こういう時にそういう人(治療家)が居てくれるとなんか頼もしいなぁ~」と思った事が印象に残っていました。

その後、掛け持ちしていた仕事を1本にするため、どうせやるなら、より人手の足りていない職場へと腹を決めていた矢先に家族からこういう資格があるよ、と勧められたのが国家資格である柔道整復師の専門学校でした。前述のこともあり鍼灸師の資格を〜とはじめは思いましたが、周囲と話したり、通う時間の関係で柔整師の学校へ入学することになりました。

当時は早朝の仕事をしていましたので、通うことになった昼間部は現役の高校卒業したばかりの若者ばかりで、始めのうちは戸惑いを覚えましたが、終わって見ればあっという間の3年間でした。

上部頸椎カイロプラクティックとの出会いはそんな専門学校に入学したばかりの頃でした。プライベートでお世話になっていたご夫婦から「これすごくいいのよね~、他の治療とは全然違うのよ。丁場君のように医療系の国家資格があれば(通学していれば)教えてもらうことができるみたいだよ。」と紹介されたのが最初でした。

その瞬間からなぜだか、「これを絶対にやりたい」と思うほどに惹かれていました。その後実際に自分で上部頸椎カイロプラクティックを受けてみても、スクールで最初の授業を受けた時も「これはすごい」や「確かにそうだ」と思うことの連続でその心はますます揺るぎのないものになっていきました。

上部頸椎カイロプラクティックの哲学には壮大な背景があります。それは万物を創造している宇宙の叡智により、私たち人間を含めた自然、全ての生命体が存在し生かされているということです。

紀元前に医学の祖であるヒポクラテスは、”私たちの中に存在する自然の力こそが、真の病気の治療家である”と説いています。この精神はBJパーマーの”自然は助けを必要としない”といった言葉の中にも如実に現れているように同じものです。

実際に自然によって癒された経験のある私にとって、こうした教えは目から鱗でした。また同時に、現代医学が普遍的な自然観からかけ離れていってしまっているように感じられる今、この精神を貫くことの重要性や意義も考えさせられました。

最近ではなるべく農薬を使わないまたは減らすことを掲げ、より自然な状態で育成される有機農法などが注目を集めるようになってきています。医療の現場においてもより生活の質(QOL)に重きをおいた方針への転換も計られ始めています。

BJパーマーが上部頸椎の重要性を説いた「H.I.O.理論」が発表されてから来年で90年が経ちます。”健康のカギは内側にある”と言った彼の教えは、こうした変化をより一層促進させる素晴らしいアイディアの一つに違いありません。