クリシュナムルティ

思考者の探究①〜思考の本性〜

少し難しい話であり、またカイロプラクティックの話とも遠ざかってしまうかもしれませんが避けては通れない話でもあります。

私はオフィスで説明する際に、神経の話をします。「体を動かす、感覚を伝える」などです。具体的には、脳からの指令が神経を介して〜となりますが、気になるのは”脳から指令を出しているのは誰?”という事になります。

脳はあくまでも物質であり、物体です。コンピュータです。コンピュータは誰かが操作しないと、勝手には動きませんよね。では操作しているのは誰?

「思考はどこからくるのですか?」と専門学校在籍中に、神経科学を専門とする横浜国立大学の教授に質問したことがあります。

「その質問に関しては脳科学の分野でも意見が2分されている。オカルト的にもなるが、魂なるものが外から働きかけていると考える人もいれば、必ずしもそうではないという意見がある。」

「私たちには自分たち自身の、脳の働きを完全に解明することができない。意識と頭脳とが複雑に絡み合いすぎているから、それを客観的に観察することができない。もしそれができるとしたらAIに人間の脳を解析させることかもね。」

という答えでした。

さておき、私は脳や神経の専門的な科学者ではありません。ですが仕事柄、やはりこの”思考”がどこからやってくるのかに関しては、心を惹かれずにはいられません。

なのでここでの探究は哲学的なものになると思います。科学的なものではありません。

そしてこの探究には20世紀のとある賢者を水先案内人として進んでいきたいと思います。

※青字は賢者の言葉

1、思考の本性

思考者が心(マインド)を形成し、頭脳を使う

内的秩序がない限り、外的秩序は生み出せない

危機は私たちの意識にある。外的カオスがある時、私たちは先祖返りする

意識の内容があるがまま。意識の内容は思考によって組み立てられている

自分は〇〇であると考える事によって、制限されている思考は意識に制限をもたらしてきた

自分は拡大することができると考えることによって意識を拡大することはできるが、しかしそれはやはり思考の領域内である

すべての感覚的反応であり、思考の中心である頭脳の活動である私たちの意識

思考は恐怖をもたらしてこなかったか?また私たちの意識への責任能力があるのか?

思考は知識の領域内だから制限されている

もちろん知識は常に制限されている

思考は制限されているから、必然的に問題を生み出す

人と人との争いも思考によって生み出される

思考が問題を解決しようとすると、さらに問題が増加する

思考ではなく、事実として認識すると全く違う質問をすることができる

思考の本性を理解してください

思考は感覚的反応やすべての想像、性的イメージなどであり、憂鬱や高揚、心配の感情である。これらはすべて制限された思考の結果です。なぜなら思考は制限された知識の所産だから

それでは問題を解決する道具は?

思考は鈍い道具

新しい道具を見つけないかぎり、根本的な変化はない

思考という道具が枷になってしまったことは、絶対的に明らかでなければならない。それは人間関係を解決できない

その人間関係には葛藤と抗争があり、葛藤と抗争から貪欲や残忍や暴力をこの社会に生み出してきた

私たちは様々な政治的、宗教的指導者に従ってきたが、以前として私たちのままだ。何千年たっても

もはや思考は私たちの問題を解決できない。観察、疑問、尋ねる、権威を拒否する必要がある

権威を決して受け入れてはならない

新しい道具を探究してる精神は、権威から完全に自由でなければならない

それはふらつかず、でたらめでない安定した精神を必要とする

私たちはなんでも受け入れてしまう

無意味な事から無意味な事へ

探究する精神はとてつもなく自由で、敏感でなければならない

感覚とは、他人から完全に聞いて、ただちに理解すること。同情、共感、愛情を持つこと。私たちはこれを持っていません

恐怖があるところに、探究の自由はない

私たちは真剣に入ろうとしています

私たちの日々の生、葛藤、寂しさ、絶望について話しています

この時私たちの問題を解決してくれる道具は何なのでしょうか?

私の意識は私たちのものである

あなたが分離した人間ではない、個人ではないのは感じられ、悟られ、生きられるべき事実

私たちはみな、自分たちは自分たちの頭脳を持つ分離した個人だと考える

偉大な科学者も考えるし、貧しい労働者もまた考える

ゆえに考えは個人のものではない

それはただの考え

考える意識は人間すべてによって分かち合われている

それの基本的な真理を悟ると、その時私たちの活動全体は変化する

思考は実在しない「私」を作り出し、自分自身を見えない牢獄へと知らぬ間に閉じ込めてしまうという事。そこから抜け出す唯一の方法は、自分のこの意識が自分だけのものではないという”唯一の事実”を真に認めること。普通の人には難しい話ですが、これしか人類が築き上げてきてしまった負の問題を解決することができないと言っています。

カイロプラクティックの哲学においても全ての人には先天的知能(イネイト)が宿っており、これは普遍的な宇宙意識を反映しているものの一部です。そして思考は後天的知能という事になります。ですので、イネイトに身を委ねるということがいかに理にかなっていることである、という事になるのですがこれも実際には簡単にできるものではありません。

この方のお話はそもそも、人の意識や思考の成り立ちを講義(レクチャー)するといったものではなく、人類の危機的状況である戦争、貧困、環境破壊、愛の無さと言ったことへの根本的な解決策を聴衆と、真剣に話し合うものです。

なので話が急展開してしまいましたが、それくらい思考者を探究していくには厳しい注意が要求されます。

思考がどこからやってくるのか?というよりも、そのメカニズムを理解する事で思考に振り回される事なく、いかに意識を変容させることができるのか。という話にスライドしてしまいました。やはりこの話は一筋縄ではいかないなぁ。